本の内容を全公開中【その2】~久しぶりの実家と最後に住んでた東京の部屋~☆後で消します

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そんなわけで、東京の屋根裏部屋みたいな賃貸を解約し、僕は久しぶりに大阪に帰りました。そうそう、東京って家賃がバカ高いんですよね。僕がいた会社はできたばかりの小さなベンチャー企業で、大阪から出てこいって言っといて家賃を1円も負担してくれない会社でした。手取り20万ぐらいでそんな家賃払えませんて。

でも飲食店は遅くまで仕事なので終電に乗れないこともあり、近くに住むしかなかったんですね。港区ですよ。港区。げーのー人が住んでる、あの港区に住んでたんです。そんなわけで、不動産屋に行って格安の物件を探しました。そしたらあったんですよ。6.5万円で4畳半の部屋が。港区海岸通三丁目に。

まず、部屋が四角くないんですよ。奥に行くほど狭くなる、カットしたショートケーキみたいな形でした。そして天井、まっすぐだと思うでしょ。斜めなんです。中学校の階段の下のスペースみたいな感じです。そして寝ていると、ずーっとチョロチョロ音がしてるんです。たぶんこの斜めの天井の上に水道菅が通ってるんです。そんないびつな形の狭い部屋に布団とテレビと、少ない荷物を壁に並べていました。

そしたら、上司が言うんです。「大阪からもう一人出てくる、部屋が決まってないから、たかじの部屋にとりあえず泊めたって」と。んな無茶な!と言っても無駄。2日後にそいつの荷物が郵送で届いたんですけど、ドアを開けると、バカでかいベッドマットがありました。置くところがないので、玄関と部屋の間の狭くて短い廊下、(横にバストイレがある)、に立てて置いたら、通れないんです。

体を横に向けて、マットを壁に押し付けて凹ませながら、ムギューって通ってました。そして同僚もやってきました。その部屋に布団を並べて、と思ったら並ばないんです。狭いから。しゃーないから、布団を重ねて寝ていました。夜中に寝ぼけて手をつないでギャーってなったこともありました。

そんな部屋に住みながら。僕は飲食店の店長として月間400時間働いていました。おっと、脱線が長くなりました。僕はそんなショートケーキ小屋を抜け出して、久しぶりに大阪の実家に帰りました。初めての社会人生活は2年1か月で幕を閉じたのでした。

19で一人暮らしを始めてからなので、8年ぶりの実家でした。懐かしい大阪の雰囲気、変わった枚方市駅駅前、たどり着いた、生まれ育った家は魔法の家でした。ふとんは毎日清潔、決まった時間に勝手に食事が出てくる。放り投げた服がキレイになって返ってくる。そして家賃は0円。部屋なんて8畳もあって、四角いんです!天井も平らで!畳が敷いてあってね。テレビもパソコンもあってね。僕の失われていた安楽の欲求を満たすには十分すぎる環境でした。

それから堕落した生活を送ることになるのですが、一つだけ成長したことがありました。

「お母さん、いつも美味しいご飯をありがとう」「いつも洗濯ありがとう」「お風呂気持ちよかったよ」「今日は金麦まで出してもらって幸せです」

当たり前と思っていたことが、当たり前でなかったことを知れて、親に感謝できるようになりました。

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