3/14発売の本の内容を限定公開【その11】~義姉との再会、母倒れる☆後で消します

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義姉との再会、母倒れる

僕には12歳離れた兄がいます。子どもが2人いて、離婚してるんですね。だから義理の姉がいたわけですが、離婚後も僕はずっと連絡はとっていました。牧瀬里穂さんに似た超絶美人で、姉御肌の、明るくて人に愛される方でした。

メールで自分のことを「おねぃちゃん」と言う人でした。「たかじ、おねぃちゃんのところ、食べにおいで。お腹すいてるやろ」とメールをくれるんです。お好み焼き屋さんをされていて、そこでよくご馳走になったりしていました。キレイやし、面白いし、明るいし、天然やし、僕も大好きなおねぃちゃんでした。

ていうのはね、亡くなったんです。亡くなったのは数年前のことでした。甥っ子から急に電話がかかってきたときは信じられなくて、声が出なくなってしまうほどでした。そのお葬式が凄くて、どこかの有名人が亡くなったのかと思うほどの、寝屋川の会館がパンパンになって、多くの方が押し寄せたのです。そのぐらい人に愛された人でした。

で話を戻して、おねぃちゃんからメールが来たんです。

「たかじ、相談あんねん。子どもたちのビデオとか写真とか、山ほどあんねんけどな。これお義父さん、お義母さんに見せて上げてくれへんかな。二人もだいぶ大きくなってるし、見て上げてほしいねん」

優しい人ですね。別れた旦那の両親のために、連絡してくれたわけです。でも、ちゃっかりもしています。

「ほんでな、たかじ、これついでにdvdにしてくれへん?めっちゃあって、わけわからんから、年代で並べて全部dvdにして欲しいねん」

交渉上手(笑)。僕はちょうど両親に後ろめたい、というか、なんか悪いな、という気持ちも持っていたので、これは恩返しに丁度いいわと、引き受けました。

段ボールいっぱいに入ったビデオや写真を受け取って、お好み焼きも食べさせてもらって、家に持ち帰りました。これ、どないしたら取り込めるんやろ?って色々調べて、必要な機材も買ったりしました。おねぃちゃんはちゃんとお金も払ってくれていたんで、そういうものも揃えられました。

ただ、これがめちゃくちゃめんどくさくて、厄介で、こっちのビデオとこっちのビデオ、どっちが古いねん?とか、子どもが2人いるので、どう並べるねん、とか、いろいろあって、うわーーーってなってしまいました。気づけば1週間ぐらい放りっぱなしになっていました。やらなあかんなー、と横目で見ながら放置プレイしてました。

そんな時でした。うちのオカンが倒れたんです。なんや心臓が痛いとかどうたらこうたら、心配をかけたくないからか、あまり詳しくは教えてくれないんです。

バタンと倒れたわけではないんですが、ほとんど寝ていて、顔に生気がなくて、時々は台所に立ったりもしましたが、調子が悪ければ一日中臥せっていました。

この時に思いました。

「アカン。オカン死ぬ。まだなんも恩返ししてへんのに、まだ俺が立ち上がって頑張ってる姿見せてへんのに、オカン死ぬ。あかん。やろ。すぐやろ。ダラダラしてる場合じゃない」と、完全に火が付きました。

そこからビデオとパソコンとにらめっこしながら、わからないところはおねぃちゃんにメールで聞いたりしながら、おねぃちゃんから、「たかじ、ゴメン。新しいのも出てきた」と言われ、それを取りに行ったり、なんとかやっとこ1週間。

「たかじ、ゴメン。今の姿も見せてあげたいから、それも撮影してええ?」「もちろんお願い。それもあった方がええわ」「でもビデオたかじに渡したままやから、撮れへんわ」「ほな持っていくわ」というやり取り、ラリーが何往復かあって、香里園にある社交ダンス教室にビデオを渡しにいったりして。(おねぃちゃんは社交ダンスをやってたんです)

3週間かかって、ようやくdvdの映像集が完成しました。パッケージも作って、専用のケースに入れて、タイトルもつけて、商品っぽくしました。

まぁ今見れば、恐ろしくセンスのないパッケージです(笑)最初は誰でもそんなもんですね。なんでこの写真をこんな使い方するかな、なんでタイトルの文字、このフォントでこの色でこのサイズでやるかな、みたいな仕上がりです。

仮に部下が、「商品が完成しました」ってこれを持ってきたら、確実に怒鳴られるでしょう。そんな見た目は全然ダメでも、時間をかけて、想いのこもったdvdを作ることができました。

おねぃちゃんに2部渡し、素材も返しました。おねぃちゃんはめちゃくちゃ感動してくれました。そんなダサダサのケースを見ても、こう言ってくれたのです。

「すごーい!すごーい!たかじ、天才やん。やっぱりアンタは違うなぁ。あのアホの兄貴とは全然違う」

とか離婚した元旦那をディスりながら、褒めてくれました。そしてまたすぐにメールをくれました。

「たかじ、ビデオ見たで!めっちゃ泣いたわ!めっちゃ感動したわ。ほんまにありがとうな!こんな頃もあったんかって、忘れてたシーンもあって、上の子とあんなに仲良くフェイスペイントして遊んでた姿とか見て、子どもたちともっと仲良くかかわろうって思ったわ。子どもたちもビデオ見てくれて、喜んでくれてた!なんか親子の仲も良くなったわ!ほんまにありがとー!」

僕は思いました。おねぃちゃん、ビデオじゃなくて、dvdな、と。僕はビデオからdvdにしたんで、そこはこだわって欲しかった。

それはさておき、おねぃちゃんはめちゃくちゃ喜んでくれたので良かった。頑張った甲斐がありました。あとは両親です。ドキドキしました。その時、僕は見つけた感じがすごくしていたからです。

これから、自分はこの映像を使った仕事をしていこう、映像の力は凄い、そしてどうやら自分にも向いているみたいだ。映像を使って人を感動させるものを作ることを仕事にしよう。想い出とか、その人らしさみたいなものが伝わる映像をやろう、と。

ドキドキの理由はほかにもありました。両親が孫の姿を見るのが久しぶりだったので、どんな反応があるかわからなかったからです。なんだかドキドキしました。

もう一つ緊張の最大の理由は、ニートをしていた自分が、これを仕事にする、という決意表明だからです。孫の成長ビデオ発表会でもあり、僕の作品の発表会なわけです。

両親に言いました。

「ちょっと見てもらいたいものがあんねん。今晩ええかな?」

「ええよ。今晩な」

そのころには倒れていたオカンも復活していて、元気になっていました。(一応安心してもらう為に言っておくと、前述したように、2021年2月現在、たぶん73歳ですが、バリバリ元気に動きまくっています。)

その時は来ました。テレビにdvdを再生し、タイトルと孫二人の現在の顔写真が映りました。

「あぁ、ヨウとココネか」

二人が知っている顔とは全然違って大きくなっていましたが、一瞬で気づきました。小さいころ、二人が知っている頃の映像から、現在まで、飛び飛びではありますが、映像がつながっていきます。

見ているとき、父はニコヤカに、反応しながら見ていました。母は、思ったより表情を変えずに、ずっと真剣にみていました。おそらく、母は心配性が勝っているので、普段口には出さないですが、二人のことをずっと心配していて、会えなかった分の成長を今、取り戻しているような感覚だったのかもしれません。

妹のココネが幼稚園の運動会のシーンがありました。年中の女の子は引っ込み思案で、うつむき加減で、行進では友達に手を引っ張ってもらっていて、徒競走も全力をだせていないような様子でした。

次の映像では、年長になっていました。体も誰よりも大きくなっていて、その顔は自信満々で、つないだ友達の手をグイグイ引っ張っていました。リレーでは前をいく子においつき、コーナーでその子の肩に手をかけて、コーナーの外にぶっ飛ばして転ばせて、追い抜いていきました。

さすがにそのシーンは二人とも声が出ていました。

言い忘れていましたが、ウチの兄は中学時代は番長で、高校も5回停学を食らって留年し、途中で退学した人です。おねぃちゃんに至っては、寝屋川に初めて誕生したレディースの走り屋集団の初代総長です。(ちゃんと二人とも大人になってからはカタギですよ)子どもたちはそういう意味でサラブレッドなんです。元気いっぱいです。

そんなこんなで、発表会や文化祭など小さいころの映像が続き、だいぶ間が飛んで、現在の姿、リビングに中学生と小学生になった二人が夕食を食べている映像に飛びました。

「ヨウ、ココネ、こっち向いてー」とおねぃちゃんの声が入り、仕方なさそうにカメラを向く二人、ぎこちない笑顔です。

「おじいちゃん、おばあちゃん、元気?僕たちは元気にしてるよ。長生きしてね」

はにかみながら、そう言ったところで、dvdは終わりました。

僕はヨコシマですから、これで両親を泣かせてやろうと思っていました。孫の成長が見れて、息子がやりたいことを見つけた、ダブルパンチじゃないですか。これは響くぞー、と、内心ドヤ顔してました。

でもその反応は意外なものでした。

普通の表情で、ちょっとホッとしたような感じでした。

「なるほど。こんなん作ってたんか」

「うん。そうやねん」

「キョウカさんと連絡取ってるんやね」

「そうそう、元気にしてたよ」

「これからは、これをやっていこうということでええんか?」

「うん。これで仕事していこうと思う。」

「わかった。うん。ええ仕事やと思うわ」

「家の部屋、事務所にしていいかな?」

「ダスキンの時の事務所の部屋空いてるから使い」

「うん。ありがとう」

「ほな、頑張りな」

そう言って、ビデオを見終えた母は台所仕事に戻りました。父は眼鏡をおでこにあげて、DVDのケースの孫の写真を感慨深く見ていました。

僕は自分の部屋に戻りました。

「親、泣かへんかったなー。泣くと思ってんけどなー。まあええか、頑張ろう。」

そう思ってその日は眠りにつきました。

でも、

後で思えばそれが、

僕が実家に戻って2年で、初めて言われた

「頑張り」

という言葉だったのです。

一章では、ニート時代の親の対応や、僕がやっていたこと、不思議な縁や出来事が、偶然か必然か繋がって、僕を映像の道に押し進めてくれました。不思議なもんですね。

二章でも三章でも、不思議な出来事が偶然的に繋がっていきます。気づくか気づかないかで、きっと誰の人生もそうなのかもしれない、と思ったりします。

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