3/14発売の本の内容を限定公開【その8】~農業?便利屋?ファイナンシャルプランナー?☆後で消します

書き下ろし限定公開中

で、何をやろうかと。飲食は真っ先に消えました。もともと飲食店が好きだったわけではないし、やりがいはありますが、飲食=激務の刷り込みは完了していました。

本屋さんでいろんな本を立ち読みして(金がないので)、いろいろと興味をもって少し足を突っ込んでみました。

まずは農業です。これからは農業や!って2007年ぐらいには言われてたんですね。今本当にそうなってて凄いな、って思いますが。で、僕がやるならコンサルやなと思ったんですね。

今の農業は(当時の本で読んだ話です)仕組み的に農家が成長するのが難しいと。要は販路がないんですよね。自分でお客さんを持っていない。作った作物は農協に入れて(当時は道の駅もそんなになかったんじゃないでしょうか)そこから販売されていくと。それでは競争も、発展も生まれにくいですよね。

個人でお客さんを持った方が良いと。個人でなくてもその集落単位とかで、お客さんをもって直販すれば、生産者も消費者も嬉しいに決まってるやん、と。飲食店で働いてる人間からすれば当たり前です。

その当時の農業は飲食に例えるとこんな感じです。お客さんがお腹がすいて、飲食ビルに入ったら、受付の人がいて、「何名様ですか?では4階のワタミにどうぞー」「次の方は何名様ですか?では5階の牛角にどうぞー」って。そんなんおかしい(笑)自分で行きたい店に行くのが普通ですよね。

とか思ったんですね。よっしゃ、農業の販路開拓のコンサルしてやろう!って思いました。(当時の僕はそこまでうまく説明できてなかったですが、今になるとこう要約できます)

何からやればええんかな?と思って、とりあえず大阪府の農業のなんか相談所みたいな?ところに行きました。それで、そんな話をしたんです。

「販路開拓のコンサルがしたいねんけど、どないしたらええですか?」って。相手の方はポカーンでした。

「オマエ農業したことあるんか?と。農地は持ってるんか?」

「やったことないし、農地ももってない。せやけど、販路なら、お客さんを持つ仕組みなら作れると思う」

「農家さんみたいな頭固い人に、お前の話が通じるとは思えん。だれがお願いすんねん。まずは農業を知れ。杉五兵衛に行って学んで来い」

そんな風に言われました。腹が立ちましたが、もっともな意見でした。まぁ時代が早すぎたのか、話す相手が違ったのか、でも確かに農家のことは知らなさ過ぎるな、と思いました。

杉五兵衛って枚方では有名なところで、農業をやってて、レストランをやってて、農業をやりたい人が働ける、テレビでもよく紹介されるような、評判の良いところです。ちょっと調べたんですが、確か2年ぐらいサラリーマン的な感じで働かないといけないんですよね。それは嫌やなと。

僕は商売をしたいのであって、サラリーマンはもう嫌だったので。あと大切なことにも気づきました。僕には農業に全く想い入れがなかったんです。時代の流れだから、とか、チャンスがあるから、とか、それだけで飛び込んではいけないな、と思いました。というわけで、農業の道は一旦封鎖しました。今思えばですが、オイシックスみたいなことがしたかったんですよね。

次に興味を持ったのは便利屋さんでした。

これも本で見つけたんですが、便利屋さんって、何でも出来るんですよね。僕はどちらかと言うと、何でもやりたいタイプ、逆に言うと、同じことをずーっとやるのはあまり好きじゃない。例えば毎日朝から店舗に行って同じ仕込みをする、みたいなん、苦手です。ようやれてたな(笑)

資金もいらないし、準備もいらないし、面白い出来事に出会えそうだし、なんか面白そうだな、と思いました。そして近所に便利屋さんが無いか調べたところ、高槻に見つけたんです。枚方からバスで20分ぐらいのところでした。

さっそく電話して、便利屋したいからバイトさせてくれって言ったら、すぐ採用してくれました。ちょうど人が欲しかったみたいで。週4とかで行きました。社員が5人ぐらい、バイトが10人ぐらいの小さな会社でした。

真面目な人が2割、やんちゃな人が8割の元気な会社でした(笑)。年下のバイトの先輩の助手席に座っていると、だいたい最近ミナミでケンカして歯が折れた話や、お金の話、女性の話ばかりでした。社員の助手席に座っていると、昔のケンカ武勇伝、副業でやっているスナックの話、女性の話ばかりでした。

最初の仕事はごみ屋敷の掃除でした。一人暮らしをされている高齢の方のオタクでした。部屋の下半分は買って開けていない布団や、買って開けてない段ボール、服やらなんやら何かで埋め立てされてる、空中で生活されているようでした。そしてその荷物のすき間からは、一人暮らしとは思えないぐらいいろんな生き物が住んでいました。

下の方から500円玉貯金がギッシリつまった貯金箱や、福沢さんもこぼれ出てきましたが、さすがにそこは社員の方が依頼主にちゃんとお返ししていました。

違う日は庭木の剪定があったり、あとは引っ越しでした。というか、気づけば毎日引っ越し作業をしていました。便利屋といっても、ほぼ引っ越し屋さんなんですね。

社長さんはブラジルとルートがあって、そこに日本の中古家電を輸出するために動いていたり、面白そうな方でしたが、2,3か月バイトをしてただけだったので、あまりお話する機会もありませんでした。

毎日引っ越しばかりでつまらんなー、と思っていたころに、週1で行ってたバスケでちょっと右ひじを痛めてしまい、引っ越しは無理になったタイミングで、辞めることにしました。便利屋じゃないな、と。3か月の肉体労働で、体はめちゃくちゃ仕上がり、バスケでもすごく動けるようになりました。

そして、次に興味を持ったのはファイナンシャルプランナーでした。肉体労働をさんざんしたんで、やっぱり頭脳労働が良いな、ということと、お金の勉強をしたことがなかったので、これは役に立ちそうだし、海外ではそれで独立している方も沢山いるということでした。

天王寺にある資格スクールの3か月コースに申し込みました。失業者ってそういうスクールをタダで受けられるんですね。交通費は自腹でけっこう痛かったんですが、授業料はタダだし、そこは身銭を切った方が頑張れると思って通いました。

モチベーションがハンパないので、いつも真ん中の一番前の席に陣取って、食い入るように先生の話を聞いて、勉強しました。超優等生で、毎日予習復習をしました。久しぶりに授業を受けるって楽しかったんです。

半分の1か月半ぐらいで、授業は一通り終わって、後半は復習的な感じなんですね。後半に差し掛かったとき、あ、今受けても絶対満点で通る、と確信したのですが、これ、受けないといけないんですよ。サボったらダメなんです。国のお金で受けさせてもらってるので。

うわー、時間のムダやなーと思い、それからは教室の一番後ろに陣取り、本を読んでいました。ああいうのって、席決まるんですよね。自由なんですが、だいたいみんな同じ席に座るんです。後ろの席の人たちは、一番前で受けてる優等生がある日突然一番後ろに来たので、興味津々で仲良くしてくれました。

大きなお胸をテーブルに乗っけて、授業中もずっと携帯でデイトレードしているオネーさん、近鉄でデパガをナンパ成功した!と写真を見せてくれるお兄ちゃんたちと友達になりました。毎日お昼休みにはうどんを食べて喋ったら、吉本のアゴの辻本が今そこの道を歩いてたーとか言いながら、はしゃいで楽しかったです。

で、ファイナンシャルプランナーなんですが、先生が皆さんプランナーの方なんですね。当然ですよね。この方々に実際仕事をどんな感じなのかを聞いてみたんです。結論、ファイナンシャルプランナーでは食えない、ということでした。

本を書いていたり、授業をしていたり、テレビで解説していたり、そんな人は一応食べていけるけど、他の仕事に活きるからこの資格も持っていることが多く、ファイナンシャルプランナー一本では日本では食べていくのは難しい、とのことでした。女性の先生だったのですが、私もそっちで食べていけるように頑張ってるんです、とおっしゃっていました。

そのお話をしてくださった方が、実際に3か月後には本を出されていて、1年後には夕方のニュースに解説で出ていらっしゃいました。前野さんという方ですけどね。関西のニュースで最近も結構お見掛けします。

てな感じで、3か月の学生生活も終えて、資格試験も無事合格したんですが、そういえばあの資格の証書、あの日以来見てないですね。ファイナンシャルプランナーもいきなり食べていくのは難しいということがわかり、また次に何をしようかなー?という感じでした。

それから枚方市が主催している起業塾にも参加したりしました。なかなかコレってものは見つかりませんでしたが、アンテナを立てながら探し求めていました。

続きを読みたい方は、お気に入り登録「ブックマーク」しておいてくださいね。

コメント

タイトルとURLをコピーしました